マインドフルネス=瞑想ではない
そしてさらに言うなら瞑想=「雑念を払うこと」でもなく「集中すること」でもありません。
現代社会に生きる我々の脳は常に多くの情報を受け取り、精査し、判断し、決定するという目まぐるしい作業を無意識に繰り返しています。
だからこそ、一つの物事を深く捉え、感じ、観察し、考察し、それを経て決定するというプロセスに時間とエネルギーをかける事が出来なくなってきます。
いや、というより時間とエネルギーをかけずに決断し、行動する事が効率的でより良い方法だと評価されがちです。
でもそれは誰のどんな基準による評価なのでしょうか?
なぜそうしなければいけないのか?
その理由に本当に答えられる人はどれくらいいるのでしょうか?
今までもお話した事がありますが、脳がさまざまな情報に晒され、深く考えられまま、細かいジャッジをくだし続けているような、考えているようで何も考えられない状態を「DMN デフォルトモードネットワーク」と言います。
脳はDMNの状態が続くと一つの事に集中する事ができず、常に気が散るばかりで、そして疲労を蓄積してしまいます。
ただDMNの状態はデメリットだけではありません。
奇抜なアイデアが突然浮かぶのもDMN状態だから、無意識に異なる情報同時を結びつける事ができるとも言えます。
ただ現代人の多くはあまりにもDMN状態が強すぎる。
一般的に脳のリソースの60%はDMNに奪われており、多い人は85%もDMNによって脳が消耗しているとも言われています。
例えば
「考えるのが面倒だから早く答えを教えてほしい」
「本を読むよりネットで調べた方が速い」
と速さや脳の省エネを優先させている人の脳はDMNに満たされているのかもしれません。
だからこそ脳に飛び込む多くの不必要な情報から少し自分を遠ざけて、今いる自分そのもの、そして目の前にある事象そのものを、何の判断もせずに受け入れることこそマインドフルネスであり、現代人にとってとても大切で必要な心の在り方なのです。
ではなぜ「マインドフルネス」=「瞑想」ではなく、でも「マインドフルネス」のために「瞑想」が需要なトレーニングなのか?
それについては改めて書きたいと思います。
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