できない人に寄り添う?

おはようございます。

僕は人の可能性を信じています。
だから人の能力開発は僕にとって幼少の頃からの僕の人生のテーマ。
それを研究し、実践し続けたかれこそ、僕はこの仕事につき、今もそれを続け、今も研究し続けているのです。

だから
「私なんて」
という言葉がどうしても好きになれません。

世の中の多くの方は自己を高めようなんてしていない。
そんなに強い人はいない。
でもそういう人の価値観も認めてあげなきゃ。
そういう人に寄り添う優しい社会。

だけど。
人は生まれた時から可能性に溢れている。
それを高める事、そしてそれをフル活用する事。
それには限界はない。
それを自分の幸福のために活かすのはもちろん、人や社会のために活かしている実感がある人ほど、人生についての満足感、幸福感が高いというのは心理学的にもうわかっている事なんです。

それを諦めるという価値観も認めて、それはそれで良いのだとなってしまったら、この社会はどうなってしまうのでしょうか?

弱い方がいるのは当然。
でもその人の可能性を信じて、それを1ミリでも高めるのがトレーナーの仕事。
そのためには「漸進的過負荷」が重要。
その過負荷が高過ぎては弱い人は越えられない。
だから「スモールステップ」
でもそれはあくまでもステップであって、現状維持ではない。

僕は多くのトレーナーに接する事がありますが、「ええ?そんな過負荷なんてかけられない人が多いんです。私はそういう人に寄り添って、ただ楽しかったぁと思っていただけるようなセッションを提供したいんです」
なんて言う人もいます。

ハッキリ言います。
そう言う人ほど
・キチッと過負荷をかけるトレーニングを自分に課していない。
・毎日毎日学びを習慣化し、自分の知識や技術を高める努力をしていない。

簡単に言うと脳も身体も鍛えていない。
それは人の可能性を信じていないのです。
人の可能性を信じていない人が人をサポートし、人を助ける仕事をしていたら?

その対象の人が問題解決し、人生を高める事ができるわけがない。

「男子三日会わざれば刮目して見よ」
もう一度言います。
僕は人の可能性を信じています。
誰でもどんな境遇でも、いくつになっても、人は自己の可能性を高める事ができます。

それを信じて自分にだけでなく、人に対して実践する事ができる。
だから僕はトレーナーなのです。

ファンクショナルトレーニングラボ クエスト

ここは東京都新宿区四ツ谷 静かな住宅街のマンションの地下 こんなところに?そこにある小さなジム でもなぜか毎日 老若男女 多様な人々がここに集まる その多くが さまざまなパーソナルジムを彷徨った『ジム難民』 そうここが「探求」という名のジム 誰かがこう呼ぶ 『パーソナル難民、最後の場所』 ここにはあなたの求める「答え」が、きっとある・・・

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